WAP06から作家参加しています、鎭目(←ネットがニガテ)です。
おひさしぶりの2008初投稿。
今日は上野の東京芸大(現在のわたしの所属先であります)で行われた、
田中泯さんの踊りを見てきました。
(ちなみに去年のWAPにも参加のコバヤシ&コクブンぶんちゃん、
それからなにかとダークホースの?もんまたえも見に来ていました。)
このイベントの内容はいろいろややこしいので割愛しますが…
(こちらにくわしいです>http://www.negritokyo.org/geidai/)
田中泯氏とは個人的に幸運なご縁があって、
何度か彼の踊りの現場において、お手伝いをさせて頂いたことがあります。
間違いなく、わたしの人生のなかでとても重要な出会いで、WAPにも繋がっています。
今日はひさしぶりに彼の踊りをみて、こみあげるものがありました。
さてこちらのブログでは、08代表カズミががんばっているようですが。
(やや空回ってますか?大丈夫ですか??)
今年はどうやら彼女の<代表デビュー>であると同時に、
彼女の本格的<作家デビュー>と相なりそうで楽しみなところです。
(『ぼくら』という少年漫画ちっくな響きがけっこう好きですねえ。)
ところで、「作家」とはなんなんでしょう?
国家資格があるわけでなし、試験もなければ証明書も発行してないし、
言ったもん勝ち(社会的にはそう呼ばれたもん勝ち)的なところがあります。
でも、それでいいじゃあないかと、思うのです。
作家は、つまり作る人。
なんか作ってる人は「作家」だって、言っちゃえばいいじゃないか。
いやさ、むしろ言わなくたっていいじゃないか。
なんだっていいじゃあないか(笑)。でもほんとうに、そう思うのです。
自らの手で何かを作る、生んで育んでいく、
それは限られた特権のもとに許されているようなものじゃないはずで。
多かれ少なかれ、ヒトが本来的に持ち合わせている力ではないでしょうか。
信じ尊ぶべきがあるとして、それは絵画や音楽そのもので、<アーティスト>が偉いんじゃない。
それを過剰にプレミア付けて値段付けて、売り物にしようなんてつまらない。
もっともっと、プロもアマもなしに、全世界万人無名芸術家になったら面白い。
わたしはそのくらいに思っています。
そういった自由をこそ、いま求めるのではないだろうか。
田中泯氏も、ただダンサーというからだひとつで、そんな諸々を跨いでいきたい人に思えます。
わたしたちのプロジェクトのように
そもそもが「芸術」のために用意されていない場へ作家として入っていくことで、
僅かでもそういった既存の枠組みや差別制度を、愉快に撹乱できたら。
それは観念上でなく、たったひとりでも、個人としてのだれかの身の上に。
起こるなら。
おもしろいじゃないですか?
代表かつ参加作家カズミという存在も、そんな変容を来した一人であるならば
おもしろい、WAPの成果のひとつではないかと思うわけです。
とゆうわけで頑張れよっカズミ!
そして、いっちゃえやっちゃえ精神のもと
まだ見ぬ皆さんのご参加もお待ち申し上げております。
……なんだか個人的に長々と書き連ねてしまいました……。
やっぱたいへんだなあ、ブログっちゅうのは。