5/28〜5/29と、再び現地リサーチを行いました。
これまでのリサーチでは比較的好天に恵まれていたのですが、残念ながら今回のリサーチは、
両日ともに雨が降ったり止んだり、けれどこれまでとは違った地域の顔を見ることができました。
大間々:旧桑原利平マンガン工場です。
写真を見て、気付く人は気付くかもしれませんが、これまで工場内にあった雑多なモノの
その大半が、一斉に撤去・廃棄され、広い展示空間が新たに生まれました。
2006年、40数年ぶりにこの旧工場を開き、足の踏み場のない程であった工場内を、
約一ヶ月かけて撤去と整理、そして大掃除を行いました。
それはWAPにおける「はじめて」の会場が誕生した瞬間でもあり、
以降、例年、さまざまなアーティストが制作・展示やパフォーマンスなどを、この旧工場で展開し、
来場者の多くが大間々駅からたった徒歩3分の場所に、このような工場が残っていることに驚くとともに、
作品と工場の雰囲気、そして所有者:桑原イエさんとアーティストとの関係を味わってきましたが、
しかしそれでも、撤去しきれなかった雑多なモノが残っていたことが、これまでずっと心残りでした。
いま、赤倉旧マルサン食堂でアーティストが寛いでいる黒革のソファも、
松原商店街モトチクロ、シンブンシャなどの改修で使用している床材も、
2006年〜2008年、WAPの代名詞でもあった「渡良瀬CampingTrain」の資材も、
そうしたWAPの作品・会場の多くの資材が、この旧マンガン工場での初年度の大掃除により
「出土」した発掘品です。
わたらせ渓谷鐵道沿線地域では、足尾銅山(現在の栃木県日光市足尾町)が有名すぎるので、
その影に隠れがちですが、旧東村(現在の群馬県みどり市東町)や
旧黒保根村(現在の群馬県桐生市黒保根町)などに、大小10数カ所のマンガン鉱山がありました。
多くは明治・大正期に採掘を行なっていたのですが、中には昭和40年代まで採掘を続けていた鉱山もあります。
旧桑原利平マンガン工場も、そうした例に漏れず、
現在の小中駅周辺の山中にあったマンガン鉱山を経営していたと言います。
大間々という街は、ともすれば足尾銅山のあった足尾、織物産業の華であった桐生、
また、自然の景観豊かな旧東村地区などに比べれば、
典型的な地方都市、といった雰囲気で、あまり印象に残らない街かもしれません。
しかし、この旧マンガン工場は、足尾銅山だけではない、鉱物資源が豊富にあった地域の「全体像」を、
今に伝えてくれる場所でもあります。
新しく生まれ(変わっ)た、旧マンガン工場には、きっとこれまで以上に心を揺さぶる作品が生まれていく、
そんな期待と予兆を感じることができます。